ZERO1

2010年02月16日

第17回レスラーズメモリーKAMIKAZE「デビューから今日までPART3」

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『もしもし…』

やはり彼女の声を聞くと安心するもんだ。

高い国際電話の料金など、なんら気にせずに長々と話してしまう。

彼女のむこうでの毎日の生活も気になったが、とにかく俺は淡々とプロレスの話をした。

そう、今回のテストの話とその結果を。


テストの合格を知らせる通知とともに、試合の日程が書いてあったのである。

それならまだ普通だが、

『君の試合もありますよ』

みたいなニュアンスで日程とともに記されていたのだ。

彼女にすべてを伝えると、喜んでくれたすぐ後には、

今の仕事の事や家族の事、そして自分たちの事も心配してくれた。

でも、何を言われてももう私の気持ちは固まってしまっていた。

『プロレスラーになる!』

そう、ここ(ハート)がたまらなく熱くなってしまっていたのだ。


それから毎日、何をしていてもプロレスの事ばかりが頭をよぎり、

小学生の頃、ブラウン管に食い入るように夢中になって見ていたプ

ロレス中継を思い出した。


憧れだったアントニオ猪木、かっこよかったタイガーマスク。

テレビの前で、拳を握って興奮しながら応援した 藤波VS長州力。


そんな思いが、日に日に胸に熱く込み上げてくる。

これから俺はプロレスラーになる!そう思うだけでわくわくが止まらなかった。

そんな中、私には一つ疑問があった。

テストには合格したものの、『試合があるかもしれない』 というところに多少の不信を感じたのだ。

私の頭の中は、合格したら1年間くらいは雑用をこなしながら体を作り上げ、いわゆる練習生として合宿所でくらし、付き人やらなにやらを経て、一人前のプロレスラーになる。

そう思っていたからだ。いや、そうじゃなきゃいけないと思っていた。

いくらアマレスをやっていたからといって、プロレスに対応する体などできていないし、こんな痩せこけた小さな体でプロのリングには上がりたくない。

試合が組まれたら普通は嬉しいのだろう。晴れのデビューなのだから。

しかし、それは先ほど言ったように、しっかりと体を作り、練習生期間を経てからの事。

プロレスは受け身が命。

PART2で書いたように、ボディースラム一発で内蔵が動いて立ち上がれない人間が、到底リングに上がる事などできやしない。

誰にも負けないとゆう意気込みは当然あるが、それとこれとは話が違う。


日程にあった大会に、もし自分の名前があったら、事務所まで足を運んで断ろうと思っていた。

何様だと思われても、それだけは『はいわかりました』という訳にはいかなかった。


そんな矢先だ、『○○選手と試合決まったから』と自宅に連絡が入った。


あの大勢の中から選んでもらえたのは大変光栄な事だが、断る為に、すかさず私は休みを利用し、車を飛ばして事務所へむかった。


到着すると、数名のプロレスラーがたたずんでいた。

圧倒されながらも、自分の気持ちを正直に話し終わると、ある選手が、

『奥に行って○○に聞いてこい!』

と事務所の裏手を指差した。

ガシャーン!ガシャーン!と奇妙な音が聞こえる方にむかうと、そこにはテストの最終日、『また会おうな!』と約束をし、のちに私の人生観を変えたあの人が…。

あの時の笑顔はどこに?と思ってしまうほど、鬼のような顔をしてダンベルを持ち上げ練習をしていた。


俺の顔を見るなり、一発目にかけられた言葉が、

『なんだよ!あっち行け!』

だった。



つづく。
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2010年01月24日

第16回レスラーズメモリー高西翔太「思い出に残った試合」

?.JPGみなさん、こんにちは!


今回のお題は『思い出に残った試合』について書きたいと思います!


昨年、思い出に残った試合は、やっぱり復帰戦ですね。


引退して1年5ヶ月振りのリングで試合中の一瞬一瞬が楽しくて、でも相手の一つ一つの攻撃が痛くて、だけど皆さんの声援が力になって頑張れる。


本当に自分の居場所はこのリングなんだなと思った瞬間でした。


この2ヶ月で、久しぶりの巡業で試合以外のところでも、みんなでご飯食べたりバカ話したりとか、何もかも懐かしくて楽しくて、先輩達と夜遅くまで飲んだ時もありました。


本当にあの時すぐに日高さんに相談して良かったと思っています。


日高さんは食事会の真っ最中でしたが…


そんな忙しい中、相談にのって頂いた日高さんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


昨年結果を残せなかった分、今年はしっかり結果を残していけるように、日々努力していきます!


※次回は、KAMIKAZE選手の『デビューから今日までPART3』をお送り致します。
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2009年12月13日

第15レスラーズメモリーNaoki「破壊王」

{^.JPGレスラーズメモリー、ご指名ありがとうございます。

リングアナウンサー、Naokiです。

何を書こうか悩みに悩んだわけなんですが、破壊王・橋本さんとの思い出を書かせて頂きます。

今でもはっきりと覚えています、僕が幼稚園くらいの時の話…

橋本さんに、おもちゃ屋さんに連れて行ってもらって橋本さんは

『何でも好きなの選べ』

僕はワクワクしながら選んでいると…

『これにしとけ!』

とかなり興奮気味の橋本さん

手に持ってるのは、当時流行ったボクシングのおもちゃ「拳闘士」

「そんなんいやや」

という僕に

「絶対これがおもしろい!これやこれ!」

と「好きなの選べ」と言った割には見事に決定権を奪われ、拳闘士に決まり、それを僕の自宅で夢中になって遊んでいた橋本さんを今でもハッキリ覚えています。

言うまでもありませんがその「拳闘士」は、橋本さんが持って帰りました…

橋本さんが亡くなられてから、僕はリングアナウンサーを始めたので橋本さんをリングコールする事は叶いませんでした…

しかし大地の正式なプロレスデビューの日には、二代目破壊王を僕がコールします。

そういえば
大地も小さい時、うちで何度か預かったっけ…

…めっちゃやんちゃな子やったなぁ…

では、次は高西選手にお願いします!

ありがとうございました!
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2009年11月29日

第14回レスラーズメモリーKAMIKAZE「デビューから今日までPART2」

R`sX|[cZ^[A[i.jpg『オヤジ、これやってみたいんだけど…』
と、おもむろに私は専門誌のそのページを差し出した。
とにかく子どもの頃から厳しかったオヤジ。
幼少から空手の道場に通わされ、中3までの11年間、月・水・金の週3日、ほとんど休む事なく通い続けた。
とにかく精神論で、ものすごく厳しい両親だった。
『休む』『さぼる』『逃げる』は、特別に許されない生活を送ってきた。
空手以外でも、自宅で様々なトレーニングをさせられた。
オヤジが大学ノートにメニューを記して、意外に息のあがるメニューを毎日やらされた。
そんな今でも頭の上がらないオヤジが、専門誌を持ってたたずんでいる私に『やってみろな』と、軽く微笑んだのだ。
彼女が海外留学中で、さびしく毎日を過ごしている俺の気持ちを悟ったのか?(笑)
オヤジも随分と当時の私の彼女の事を気に入ってくれていた。
でも、時が経ったから思うのか、
『やっと自分のやりたい事見つけたな、やっぱりおまえはそれだろ!』
微笑みでそう語りかけてくれてたのかなって、今は感じている。
オヤジがグッと背中を押してくれた事で、その後の俺の行動は早かった。
すぐにオーディション的なテスト合宿に参加した。
驚いた事に、合宿する場は、我が母校(足利工業大学付属高校)だったのだ。
代表が谷津さんて事もあり、やはりこの合宿に協力してくれる人は、恩師であり、コーチであり、先輩であり、顔馴染みの人たちばかりだった。その人たちはみんな、『何やってんだおまえ』と口を揃えた。少し恥ずかしい感じだったのは覚えているが、『何やってんだおまえ』に、なんて返答したかは忘れた。
参加者の数は、すさまじかった。変わった風貌の奴ばかり。ここから俺は一番で飛び抜けなきゃいけねんだって思ったら、ずっと眠っていた闘志が、メラメラと燃え上がってきた。その反面、正直、何にでも耐えられる余裕もあった。
テスト内容は控えさせてもらうが、この合宿には、体育館にリングを設置し、実際にリングにあがり、軽いマット運動、軽い受け身なんかも実施された。
合宿の最終日だろうか、受け身のできた俺を見て、コーチで来ていたあるレスラーが、俺をボディスラムで投げた。余裕をぶっこいていた私は、そこでかなりの屈辱を味わった。叩きつけられ内臓が動き、苦しくて立ち上がれなくなった。
ボディスラム一発で。
その後、私だけ何度もロープに振られ、背中に3本あざができた。まるで、鉄柵にガンガン叩きつけられているようで、生きた心地がしなかったのを覚えている。
余裕をぶっこいていた私に
『プロレスをなめんなよ!』の洗礼だったのかもしれない。
なめてはいなかったが、その時の自分が悔しくて悔しくて仕方なかった。
『こんなはずじゃねぇのに…』
ただ、そんな経験をさせられた私はさらに火がついてしまい、
『クソッたれ!絶対にデカくなってやる!』と心に決め、合宿終了後のちに私の人生観を変えたある人と、
『また会おう!』『また会いましょう!』と、かたい約束を交わし解散した。
後日、テストの結果が自宅に送られてきた。その手紙の内容に驚いた私は、おもむろに受話器をとり、イギリスにいる彼女に国際電話をした。

※次回は、ZERO1以外でもK-1など多方面で活躍されているリングアナのNaokiさんが筆をとります。お楽しみに!
なお、PART3は、また不定期で掲載させて頂きます。
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2009年11月15日

第13回レスラーズメモリーKAMIKAZE「デビューから今日までPART1」

@.jpg名鑑などで公式発表している私のデビュー年月日。
実は私、それ以前に3・4試合、リング上がり戦っている。
なぜか当時所属していた団体の代表に『今日が正式デビューだ』と言われ、公式表記にいたる。
意味はわからない。
私が最初に所属した団体は『SPWF』。
私の高校のレスリング部先輩には、谷津嘉章さん、故・三沢光晴さん、川田利明さん、そして後輩には、最後、新日本プロレスに所属していた故・福田雅一がいる。
私は高校を卒業し、潟ナイテッドスティール(のちのユニマット、現・ジャパンビバレッジ)に就職し実業団でレスリングを続け、社会人大会などに参加していた。
昼間は街や工場、学校などに設置してある自動販売機に、缶ジュースやブリックパック紙コップジュースなどの飲み物の補充をしていた。
ある地域に設置されていた自動販売機を、100台くらい受け持っていただろうか。
昼食はいつも決まった定食屋。毎日毎日、自販機をまわり、昼はそこで安い定食を食べ、また夕方まで自販機をまわる。売り切れだ、故障だと、毎日毎日クレームをあびながら。
そんなある日、午前の仕事が終わり、いつもの定食屋で新聞を読んでいると、ある記事が私の目にとまった。
『谷津嘉章、新団体旗揚げ!』
土・日限定興行のプロレス団体と書いてある。
週休2日だった私は、何度も食い入るようにその記事を読み返した。私はアントニオ猪木・タイガーマスクブーム直撃世代。小学校6年生までは、学校で1・2位を争うプロレスマニアだったが、中学進学と同時に、段々プロレスから離れていった。そこから自分が入団する直前まで、プロレス団体は、新日本、全日本、前田日明さんのUWFしかないと思っていたほどだ。
たまにテレビは見ていたものの、その間、プロレス界で何が起きたかなんて知るよしもなかった。
だから『谷津嘉章、新団体旗揚げ!』の記事には、ものすごく興味がわいた。
歳はだいぶ離れてはいるが、同じ高校のレスリング部の先輩であり、高校時代からレスリング道場に顔を出し、何度か面識があった谷津さんだったので、余計にその記事に目がいった。
当時私には、7年間付き合っていた彼女がいたが、その記事を発見する数ヶ月前に、1年間のイギリス語学留学に出ていた。まめに連絡を取り合っていたので、当然その記事の事や、自分の意志などは常に伝えていた。
『新団体』に興味を持った俺は、もっと詳しい情報が知りたくて、もしかしたら載ってるかもしれないと、久々に専門誌を購入しに本屋に走った。案の定、新聞記事よりは、もっと詳しく載っていて、スタッフなどの紹介なんかも載っていた。私は何度も専門誌のその記事だけを読み返し、ある決断をして、本を片手に晩酌をしている親父のもとへと近づいていった。
※PART2に続く
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2009年11月02日

第12回レスラーズメモリー柿沼謙太「格闘技を始めた理由」

tCOfBXN.jpg今回のレスラーズメモリーに選ばれたのは、10月24日にデビューしました柿沼謙太です!
よろしくお願いします!
「格闘技を始めた理由」なのですが、ZERO1に入るまで格闘技はホントに少ししかやっていなかったので、自分のスポーツ歴について書こうと思います。
自分が一番最初に始めたスポーツは、相撲です。
小学校2年〜6年までやってました。年2回行われる地元のわんぱく相撲大会では、合計8回優勝してました。この頃は、超肥満児だったのですが、それと並行して小学校3年からソフトボールを始めます!
自分の地元は野球よりもソフトボールが盛んなんです。そこでは最終的にピッチャーをやってました。
ここで自分の野球魂に火がついて、中学・高校とずっと野球部でした。中学の時は3年間、キャッチャーをやってました。そのまま高校も野球で進学して高校の時は3年間ファーストをやって本気で甲子園を目指してました。
この頃から、補強でやり始めたウエイトトレーニングに興味を持ち始めます。大学に入ってトレーニングもやりつつ、新しいスポーツに出会います。
その名も『アルティメット』。
これを言うと格闘技に間違えられるんですけど、どんなスポーツかというと、ボールの代わりにフリスビーを使ってやるアメフトみたいな感じです。
大学4年間、聞かれる度に説明してきましたけど、やっぱりうまく伝えられないです(笑)
特に文章だと……。
気になる方は、Yahooで『アルティメット』か『フライングディスク』と検索してみて下さい。
と、そんなわけで自分のスポーツ歴でしたが、まとまらない文章ですみません。
さて、次回のメモリーは、KAMIKAZE選手にお願いしたいと思います。
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2009年10月18日

第11回レスラーズメモリー橋本大地「趣味」

20091017221550.jpg今回リレーに自分が選ばれたのですが、お題が出ず沖田さんに『何でもいいよ〜』と言われたので結構、悩む…。

ん〜。
ん〜。
ん〜。
ん〜。

よし!自分の『趣味』について話そうと思う。

まぁ、趣味と言っても自分の趣味には空手やキックボクシングと色々あるが、絶対に外せないものがある。

それは「仮面ライダーや自分が好きなアニメのフィギュアを可能な限り集めること」だ。例えば、仮面ライダーは旧1号からW(ダブル)まで昭和から平成、全て好きだ。

例えば、アニメだとしたら「天元突破グレンラガン」というアニメがあるのだが、そのアニメのフィギュアも可能な限り集めている。

友達に『お前、もし結婚したとしたら、嫁さんの方、大変だな』と言われた(笑)
『そんな事言われたって好きなんだもん』という、出来事があった。
ただ単に自分がフィギュアを好きだという平凡な話。
それだけなんですけど……(笑)

平凡で、すみませんでした。

それでは次は、この度デビュー戦が決まった柿沼謙太さんで、お題は「格闘技を始めた理由」で、お願いします。
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2009年10月04日

第10回レスラーズメモリーオッキー沖田「プロレス界に入るきっかけ」

WN9P3654.JPGこんにちは!オッキー沖田です。
レスラーズメモリーですか…ありがとうございます。
では、私がこのプロレス界に入るきっかけとなった犯罪スレスレのお話。
それは私が小学五年生の頃。おニャン子クラブ全盛の時。当然、毎週金曜日は『ワールドプロレスリング』に夢中。翌日の土曜日の午後は授業が無い事を良い事に、遅くまで体育館のセーフティマットでプロレスごっこにあけくれておりました。

※ちなみに、その時の良きライバルは今、ZERO1でスポンサーをしてくださってる千葉のライズホームの社長さんです。

毎日が、プロレス、プロレス…。小学生の私は、生観戦するお金もなく、ひたすら週間プロレスやビッグレスラーを熟読しておりました。そんな時『ぼくらの七日間戦争』という、宮沢りえちゃんの映画が流行りました。親に反抗すべく、子どもたちが立ち上がる!自分の両親には何の不満もありませんでしたが、僕の心にある「魔」がやどりました…「どうやったら、プロレスをただで見れるか…」
私の地元、千葉公園体育館には四ヶ月に一回のペースで、新日、全日、全女が来ていました。決意を決めてからは練りに練った構想が約半年かけて出来上がりました。
内容はこうです。

@プロレスの前日にバドミントンの練習をいれる
Aいつもみんなで帰るのを一人帰り、二人帰り、十人弱で帰りと、バラバラに帰る事により、体育館の物置に選ばれし僕ら四人が残り、次の日まで居続ける
Bプロレスが始まったらアリーナに出ていく

嘘のような本当のような話ですが、結果は……見事成功。このまま、一生プロレスはタダで見れる!!と思った四回目、見事に捕まりました。(←当たり前!)
その時にプロレスの会社の方に言われました。「このまま、警察に連れていかれるか、アルバイト代は出せないが、今日一日、会場作りや、選手の花道誘導などの仕事を手伝うか、どっちか選べ!」まさに、天国と地獄。迷わず後者を選び、馬車馬のように働きました。
そして、帰り際に一言。「今日はお前ら、やっちゃいけないことをしたんだ。でも反省してよく働いた。どうだ?来週の後楽園も手伝いにくるか?」
かくして早二十四年の月日が流れております。

以上、レスラーズメモリー、次回は……橋本大地に渡したいと思います。
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2009年09月20日

第9回レスラーズメモリー 浪口修「初勝利」

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レスラーズメモリーのバトンを受け取りました。

何を話そうか…。

そうですね…初勝利について書きたいと思います。

日付は覚えていませんが相手は『山笠ジェット信介』さんで会場が                             『宮城県スポーツセンター』だったと思います。

決め技は『ドリームキャッチ』。実は最初は『ドリームキャッチャ

ー』だったんです。イメージはUFOキャッチャーだからクレーン

が標的を掴みにいく形に似てたので。

話をそれましたが、ジェットさんとは一緒に生活してたし同郷の人

間でいろいろお世話してもらったり教えてもらってましたから、初

勝利がジェットさんで非常に嬉しかったのですが…まあ、いろいろ

考えましたよ。

さて、次のレスラーズメモリーは、レスラーは結構まわってますの

で、変化球でリングアナウンサーのオッキー沖田さんにお願いしま

す。
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2009年09月18日

第9回レスラーズメモリー 浪口修編は20日午前0時更新

崔選手のイギリス時代の話、いかがでしたでしょうか?

崔選手と恵理さん、また再会できたらいいですね。

そして、崔選手からのバトンを受け取ったのは、浪口修選手。

浪口選手はZERO-ONE時代の話を語っています。

第9回レスラーズメモリー 浪口修編は20日午前0時更新予定です。
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2009年07月12日

第8回レスラーズメモリー 崔領二「二週間の親友」

もう10年以上前の話になりますが・・・・


イギリスの高校へ通っていた頃の話。


「来週、日本人の女の子が短期交換留学でニ週間だけ来るから、仲良くしてくれ」とイギリス人の先生から頼まれました。


外国人がほとんどいない、イギリス人だらけの学校にやってきた一人の女の子「恵理さん」



彼女はニュージーランド生まれニュージーランド育ちで、日本へは中学の時から住み始めたそうで、日本語も英語もペラペラ。


世話するどころか、毎日のように宿題を手伝ってもらってました・・・・


とにかく明るく元気な女の子で、たったニ週間でしたが毎日のように一緒にいて、元気にしてくれました。


すぐに校内の人気者になった彼女・・・・でも友達が少ない僕といつも食事をしてくれて、優しい子でした。


いつも悩みを聞いてくれて、励まされた毎日・・・・でも彼女は一切愚痴を言わない。 そんな強く優しい心の持ち主で、本当に尊敬してました。


ニ週間が過ぎたある日、彼女は突然、さよならを言わずに去っていきました。


一部のイギリス人生徒には最後の挨拶を済ませたのに、いつも一緒にいた僕だけには何も言わずに急に去って行きました。


しばらくショックで、何も手につかず・・・・最後に失礼な事したかな? なんて考えてもわからず。


連絡先も交換していないから、何も聞けないし・・・・


そして一年ほど過ぎ、卒業を迎えたある日、卒業準備で荷物を整理していると、学校郵便係員が「ずっと前に君宛てに来てたよ」と紙袋を持って来ました。


手紙以外の郵便は学校管理郵便所まで各自が取りに行くルールだったらしく、そんなルールがあった事をそのとき初めて知った訳で・・・・


その紙袋は郵便ではなく恵理さんが自ら郵便所に持ち込み、預けたのだそうです。


急いで中を開けると、そこにはメッセージカードと服が入ってました。


「短い間でしたが、本当に楽しかったです!ありがとう。また縁があれば、必ず再会すると信じてます。さようならは言いません。ありがとう!」確かそんな内容で、連絡先は一切書かれてませんでした。


Image028.jpg「大好きなスポーツをするときに是非着て下さい」とプレゼントしてくれたタンクトップ。 今ではすっかり体が大きくなってピチピチですが、大切にしてます。


29年の人生の、ほんのニ週間でしたが今でも忘れられない出会いです。


今もどこかで元気でいてくれてる事を祈ってます。


残念ながら20代のうちに再会は出来ないかも知れませんが、いつかまた会えたら、その時はタンクトップの御礼をたっぷりとしたい。 そんな思いでいっぱいです。


さて、次回は浪口修選手に回したいと思います。

それでは次回もお楽しみに。
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2009年07月11日

第8回レスラーズメモリー 崔領二編は12日午前0時更新

少年時代、誰もが経験したであろう思い出を語ってくれた笹崎勝己レフェリー。

ジョーズフィギュアに限らず、ビックリマンシール、キン消しなどヒット作があれば、二匹目のドジョウを狙うのはいつの時代も同じことですね。

そして、笹崎レフェリーからのバトンを受け取ったのは「レスラー」崔領二選手。

崔選手は知られざるイギリス留学時代の話を語っています。

第8回レスラーズメモリー崔領二編は12日午前0時更新予定です。


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2009年07月05日

第7回レスラーズメモリー 笹崎勝己「JAWS」

どうも、趣味&特技は睡眠の笹崎です。
「レスラーズメモリー」をレスラーではない僕が書いていいのだろうか?
と思いましたが、大谷社長からご指名を受けたからには張り切って書きたいと思います。


あれは僕が小学生の頃。1975年の事でした。
その年の12月に公開された映画「JAWS(ジョーズ)」が話題になっていました。今みたいにインターネット等が無かった時代、情報源といえば雑誌かテレビ、口コミだけ。公開される半年位前から『アメリカでジョーズっていう映画が大ヒットしているらしい』とか『映画の影響で海水浴場がガラガラらしい』などの噂が飛び交っていました。
海水浴でごった返すビーチに巨大な鮫が出現!金髪美女大パニック!なんて映画は、東京の端っこ、板橋区赤塚でろくに勉強もせずに遊んでばかりいた僕らボンクラ小学生には、たまらなく魅力的でした。

「今度やるジョーズって映画が滅茶苦茶面白そう!」「絶対見に行きてぇ〜!」とクラスの中でも話題騒然。断片的な情報で頭の中がパンパンに膨れ上がった頃、いよいよ公開になりました。
早くも見に行ったクラスメートが「すげー面白かったぜ!」等と興奮しながら喋っているのを聞いて、僕も一刻も早く見に行きたい!と父親に懇願。冬休みに入ってまもなく、渋谷の映画館に父親とともに行くことに。

shark.jpgやっと見られた「JAWS」は最高に面白かった!大満足で映画館を後にしました。
冬休み明けにはクラスのほとんどが見に行っていて、ひとしきりまた盛り上がりました。
映画は大ヒット。近所の駄菓子屋でどう見てもオフィシャルじゃない鮫のソフビ人形が売られるほど。誰が買うんだそんなもん、とお思いでしょうが買いました、私・・・。
銭湯に持っていって、あのテーマ曲口ずさみながら海面から顔を出させたり(お湯ですが)
友達のミクロマンに襲い掛かったり、深い方の浴槽で平泳ぎしている奴の尻に噛み付かせたり、とよく遊んだものです。もっとも1週間もすれば飽きてしまい、押入れに放置したままになってしまいましたが・・・。

この後、ジョーズの大ヒットにあやかって熊だの、蜂だの、ミミズだのが人間を襲う、という映画がこれでもか!と公開されましたが、どれもこれも安易な二番煎じでしたね。
また僕らも単純だからか、ほいほい宣伝に騙されて見に行っては激しく後悔する、そんな事の繰り返しでした。
「俺の青春の貴重な時間を返してくれ!」と言いたくなるようなものばかり。
こうやって大人に騙されながら成長していくんだなぁ、と思いましたね。


こんな事書いていたら無性にもう1回見たくなったんで、これからTSUTAYAに
行って来ます。
また会場でお会いしましょう。さようなら。



あっ!次の人を指名するのを忘れる所でした。
もう1回大谷さんに回そうかと思いましたが、怒られそうなので別の人にします。

それでは、レスラー崔領二選手でお願いします。
次週もお楽しみに。

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2009年07月04日

第7回レスラーズメモリー 笹崎勝己編は5日午前0時更新

新弟子時代の情熱を語った大谷晋二郎選手からのバトンを受け取ったのは笹崎勝己レフェリー。

笹崎レフェリーの少年時代の意外な思い出とは・・・?

第7回レスラーズメモリー笹崎勝己編は5日午前0時更新予定です。



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2009年06月28日

第6回レスラーズメモリー 大谷「新弟子時代。」

レスラーズメモリー(;^_^A。


何を書こう( ̄〜 ̄)ξ。

別に書くことがなくて困っているのではない。

どちらかと言うと書くことがあり過ぎるのである。

昔から毎日新しい出会いや新しい発見に飢えている僕には皆さんに伝えたいことがたくさんある。

……。

……。


うん!決めた!

今回は僕が小さな頃からの夢であったプロレス界に入門してからの練習生時代の話を語らせていただこう。


僕が新日本プロレスに入門したのは1992年2月。


厳しい入門テストに合格してこの同じ日に入寮したのは僕を含めて5人。


その当時の若手のコーチ役は馳浩さんと佐々木健介さん。


とにかく朝から夜中まで気の休まることがない毎日だった。


しかしそれと同じ位に小さい頃からの憧れの世界に今僕はいるんだとの嬉しい気持ちがあったのも事実。


それに親の反対を押し切って山口の田舎から飛び出して来た僕には帰る場所もなかった。


だからこそ何があっても絶対に諦めない気持ちだけは変わらない自信があった。


しかし練習の厳しさはもちろんのこと日常生活での上下関係や雑用も僕の想像を越えていたように思う。


ちゃんこ番になった日には、先輩が食事をされる時に側でジッと立って待機。そして、他の先輩がお風呂に行かれる時には風呂場に走り浴槽の湯加減チェック。


山のような洗濯物。


次々と用事を言い付ける先輩方。


たしかに気の休まる時間はなかったが、確実に僕はこの新弟子期間で色んな勉強ができた。


そんな中1週間後には5人いた新弟子が3人になり、1ヶ月後には2人になった。


その残った2人が僕と高岩。


この時代を生き抜き、今この大好きなプロレスの世界で生きることが出来ている。


だからこそ僕は幸せ者なのだと胸を張っていつでも言えるのである。


なんかレスラーズメモリーっぽくない内容だったかな(;^_^A。


でも一生懸命記させていただきました。


さて次回のレスラーズメモリーの執筆者を発表しましょう。


次回は少し変化球でこの人にバトンを渡したいと思います


我がZERO1のスーパーアイドルであり特技は睡眠、趣味も睡眠のあの人。


癒しのレフリーことタイガー勝己。


笹崎勝己レフリーにバトンを渡します。


笹やん!宜しくお願いします(^-^)。
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2009年06月27日

第6回レスラーズメモリー 大谷晋二郎編は28日午前0時更新

レスラーズブログで植田選手にバトンを渡した大谷選手。

今度は逆に大谷選手が植田選手からレスラーズメモリーのバトンを受け取ることに!

毎日を熱く生きる大谷選手の思い出とは・・・

そして、掟破り?のバトンを渡す相手とは?

第6回レスラーズメモリー大谷晋二郎編は28日午前0時更新予定です。



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2009年06月21日

第5回レスラーズメモリー植田使徒編「レスラーになれた場所」

チャス!!

シトです!

田中さんからのバトンを受け継いで、語る今回のレスラーズメモリー。
田中さんからということもあって、自分がプロレスラーになるきっかけともなったあの場所のことを書きます。

自分が、中学一年生の時、地元である新見市民体育館にFMWが試合に来て、生まれて初めて生でプロレスを観ました。

その時は、それほどプロレスが好きというわけでもなく、テレビなどでも活躍していた大仁田厚さんが来るからという理由で何の気なしに行った程度でした。

しかし、その出会いはもう自分にとってはとても衝撃的で、試合を観戦後には『プロレスとは戦いを通じて、こんなにも人を感動させることができるんだ!もう、これしかない!プロレスラーになるしかない!』
と、勝手に思い込んでしまいました!

この時、田中選手も出場されていました!

そう思うと何か不思議な感じがしますね!

それから10年以上の月日を経て、自分がプロレスラーになるきっかけとなった場所で試合を出来たこと、家族や友人たちの前で試合を出来たことは何よりの誇りだと思っています!

そして、この場所で戦えたことで自分がプロレスラーになれたんだということを改めて痛感しました。

次、新見に帰るときはもっともっと強くなって必ず、故郷に錦を飾れるようにしたいですね!


次週は大谷さん宜しくお願いいたします!


003.jpg
画像はプロレスラーを目指すきっかけとなった地である新見市民体育館にて試合をする植田選手。

デビュー間もない植田選手は第1試合に出場。負けはしたものの、真っ向から先輩選手にぶつかっていく姿を新見の皆様に届けました。

2007年11月9日
岡山・新見市民体育館
○佐々木義人[7分55秒 逆片エビ固め]植田直幹(※当時)×

なお、植田選手の試合の模様や地元新聞への記載は新見化学工業のホームページに詳しく記載されています。

http://www.niimikagaku.co.jp/event/2007/niimi_zero1max.htm


◆都合により、レスラーズメモリーが先になりましたことをお詫びいたします。なお、佐藤耕平選手のレスラーズブログ「携帯電話と私」は水曜日に更新いたします。
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2009年06月17日

第4回レスラーズメモリー 田中将斗編「デビューの場所」

佐賀スポーツセンターの会場で練習生数名でスクワットをやっていると、ターザン後藤さんがやってきて「サンボ(サンボ浅子さん)が欠場するから、一人たりなくなる。田中、お前今日リッキ-とデビュー戦な。」って突然言われた。

練習生がデビューが近付いてくるとコスチュームやシューズ一式を持参して巡業に出るように言われているのでそれは問題なかったけど、急に言われ、数時間後にはデビュー戦。

練習中に言われたので気合いが入るかと思ったら、緊張で逆に練習もただこなしているだけみたいな、心ここにあらず状態だったような…。

控室はと言うと、スケートを貸し出す部屋みたいな所でスケートシューズがたくさんおいてあり、あまりスペースがなく試合が近付いてくると緊張で大仁田さんがいるのも目につかなくて目の前を行ったりきたりしてて、「お前ちょっとじっとしてろよ」みたいな感じで怒られ、試合も練習で覚えたものを全然だせなくて情けなかったなぁ。

そして数年間、毎年のように同じ場所に行って試合をしていたのに、何年か前にその場所は取り壊されたらしく、佐賀県に試合にいくのも遠ざかっている。

本当、僕にとったらプロレスラーになった原点の場所。今はないのは寂しいけど、一生忘れる事のない場所である。

さあ次は植田選手にお願いします。


☆田中正人(※当時)デビュー戦
FMW 93年7月23日
佐賀スポーツセンター vsリッキー・フジ戦
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2009年06月16日

第4回レスラーズメモリー田中将斗編は17日午前0時更新

何も覚えていないというデビュー戦だったという斎藤謙選手からのバトンを受けた田中将斗選手。

レスラーのメモリーと言えば、やはりこれ。

17日更新の田中選手のメモリーも、突然に決まったデビュー戦の思い出となっております。

今や弾丸戦士として国内外のマットを駆け巡る田中選手のほろ苦いデビューとはいかに?

17日午前0時更新予定です。

お楽しみに!
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2009年06月10日

レスラーズメモリー第3回斎藤謙編「デビュー戦」

090425_0619~01.jpgえーっと、フジタミノルさんから指名を頂き(?)ました。斎藤謙です。まず最初に言いたいのはとりあえず僕アイドルレスラーでもなければ「〜げす」なんて使いませんから。僕は僕なんで(笑)あースッキリしたっ!じゃあ始めます。

メモリー……記憶・思い出って事か。この世界に入っての思い出はやっぱりデビュー戦ですかね。時間かかりましたからね〜。昔を振り返ってみます。

アレは忘れもしない確か2月か3月の中旬か下旬。北海道シリーズの函館大会でデビューしたんだ。相手は高西翔太さんでした。

高西さんとは寮の部屋が同じで、あとは…んまぁそれくらいか。でもまだ僕がファンの頃、未だに高西さんは伏せたがっているアノ「高西翔太日記」をマメに読んでいたっていう記憶がバッチリ残ってます(笑)

今は連絡を取り合ったり、たまに高西さんが田町に来られて飲んだりしてます。いろんな意味で人生の先輩なんで相談したりもしてます。

そんな高西さんとの試合は正直なにも覚えていません。低〜いドロップキックをしたくらいか?なんかフワフワしたまま終わってたな。控え室に帰って大谷さんに「おめでとう」と言って頂き、頭を撫でて頂いたのは鮮明に覚えてます。アレは嬉しかった。新弟子時代に逃げなくて良かったなとホントに思えた。

もう一つ鮮明に記憶されてるのが試合前の100本受け身。デビュー前のゼロワン恒例行事みたいな所があるんです。キツ過ぎてランナーズハイみたいな状態になってた(笑)

高岩さんの叱咤の声がすげぇ聞こえて立てない悔しさを叫び声に変えてたな。終わったら1番に高岩さんに声をかけて頂き、「頑張れよ」って言ってもらったんだ。アノ1言も絶対に忘れられないな。

ずっとリキプロで練習を見て頂き、僕をレスラーにしてくれた1人の方。今の練習生達は高岩さんに練習を見てもらってないからプロとアマの壁の高さを痛感してない。1度でも自分達からお願いするべきだと思う。

ちょっと話しが僕の意見に反れましたがデビュー戦の記憶はこんな所ですかね。

次は普段思い出話とかあまり話されない田中さんにレスラーズメモリー。

よろしくお願いします!


☆斎藤謙デビュー戦
2008年3月26日 函館市民体育館
○高西翔太(6分26秒 逆エビ固め)斎藤謙×

※画像はデビューから1年を迎えて再度訪れた函館の景色


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